わが町のうなぎ盛衰記

移転しました。

はじめまして、うなぎ社長と30年来のお付き合いをさせていただいております静岡のしょうゆや社長です。

私が住んでいる吉田町は、かつては全国一のうなぎ生産量を誇った町であった。

歴史的には大正時代に川尻地区の地主である久保田恭氏が浜名湖の養殖を模して始めたのが最初ある。川尻地区という大井川下流の地域は地下水が豊富ではあったが冷たい水は稲作に適さず不作が続いたという。

この豊かな水量と焼津に近く、エサを調達し易いという環境からうなぎ養殖を考えたそうである。大正時代には焼津からリヤカーでカツオの頭など運びエサにしたという。

昭和40年代には最盛期を迎え、まさに町を代表する産業に成長した。

当時の川尻地区の航空写真を見ると水田のように見えるのはすべてうなぎの養殖池である。

水田の畔に石積みして、その土手で囲って作ったことが池の形状から良くわかる。

池には必ず小屋があり「池番」と呼ばれる人が寝泊まりしていた。

うなぎ養殖をしている人には良い時代であったのだろう。皆さん羽振りが良く焼津の飲み屋で散財したそうだ。だから、当時は焼津へ飲みに行くには「長靴を履いていかないとモテない」という話があったくらいである。

そのうなぎ産業も、うなぎの病気、稚魚の減少等で次第に衰退して最盛期400軒以上あった養殖業者は現在、やっと二桁、10軒くらいになってしまった。

池の跡地は大手フィルムメーカーをはじめ町が誘致した工場、物流倉庫に代わって行った。

残ったうなぎ生産者は「吉田良質うなぎ研究会」という組合員の有志で仲間を作り吉田産うなぎのPR活動をしている。今年はシラスの状況も厳しいですが頑張って下さい。

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※1 昭和44年の吉田町川尻地区の航空写真(日鰻連HPより)

※2 久保田恭氏の石碑